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非常の人・平賀源内 [メディアから]

時代劇専門のコミック雑誌「乱TWINS」で「平賀源内」を扱っていた。
(ひらまつつとむ「大江戸万華鏡 平賀源内 夢一代」)
感銘を受けたので忘れない内にメモしておきたい。
その有能さ、多才ぶりではなく一種の性格悲劇としてである。

平賀源内年譜

★1728年讃岐の国に足軽の子として生まれる。才を認められ長崎留学

★1755年(26歳)江戸に出る。洋書を基に様々な物を作り、著名人となる。

★1764年(35歳)幕府要人田沼意次に石綿他を披露する。

イベントプランナー、戯作、博物学、天文学、園芸、絵画をものす。

★1768年(39歳)秩父での鉱山開発が失敗、多額の借財を負う。

★1770年(41歳)
エレキテル製作に取り組み始める。当時世界でも最先端の機械だった。

★1773年(46歳)
5年の間研究のため家財を売り、製作に没頭する。

★1775年(48歳)
さらに2年たっても進展はなく、財がつき貧窮を極める。
海外ではボルタがコンデンサーを発明す。

★1776年(49歳)
ついにエレキテルが完成し、大評判となる。

ただし医療器具のつもりであったが好奇を誘う見世物扱いであった。

★1779年(52歳)
書類の紛失を、酒席を共にした知人の仕業と勘違いし、斬殺に及ぶ。
捕縛され、獄中死す。

★杉田玄白の悼辞に曰く、「非常の人、非常の事を好み、行い、此れ非常、何ぞ非常の死なる…」

《私の感想・コメント》

!!驚きしは「エレキテル」製作、7年もの辛酸嘗めしとは知らざりき

!!「静電気にて血液サラサラ」は今も民間療法にこれあり。


「夕凪の街 桜の国」文庫本に [メディアから]

夕凪_.jpg

今日コンビニで、こうの文代さんのコミック「夕凪の街 桜の国」が文庫本になって出ているのを見つけた。

先月映画化されたDVDを観た所だったので、連動して売り出したのだろう企画に我が意を得た思いだった。

このコミックは地味ながら、数年前に文化庁のメディア芸術祭で、並みいる大掛かりな映像作品をおさえ
大賞に輝いた作品である。

「ヒロシマ」への思いを若い作者が声高でなく、しかもシリアスに表現している。


映画の方も非常に印象深い作品になっているので、日本と言わず多くの人に見ていただきたい映画だ。

この本を教えてくれたのは2月に亡くなった友人の画家、被爆2世の和田賢一さんだ。
彼も原爆の被害者に違いない。



夕凪の街桜の国

夕凪の街桜の国

  • 作者: こうの 史代
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2004/10
  • メディア: 単行本



夕凪の街桜の国 (双葉文庫 こ 18-1)

夕凪の街桜の国 (双葉文庫 こ 18-1)

  • 作者: こうの 史代
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2008/04/10
  • メディア: 文庫



夕凪の街桜の国―小説

夕凪の街桜の国―小説

  • 作者: 国井 桂
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2007/07
  • メディア: 単行本



夕凪の街 桜の国

夕凪の街 桜の国

  • 出版社/メーカー: 東北新社
  • メディア: DVD



「アウト・オブ・サイト」無能という主題 [メディアから]

976_0.jpg




DVDで「アウト・オブ・サイト」という映画を観た。
1998年公開、主演はジェニファー・ロペス、ジョージ・クルーニー。監督はソダーバーグである。
今頃になってこの映画を見たのは、劇中に、今話題になっている大変美しい銃が出てくるからである。

スイスのシグ・アームス社の230pというモデルで、日本でもSP(要人ガードの部隊)に配備
されている。武器の美というのは、デザインとして興味深いものがある。

http://mgdb.himitsukichi.com/pukiwiki/?%A5%B7%A5%B0%A5%B6%A5%A6%A5%A2%A1%BC%20P230

従って劇そのものに期待していた訳ではないが、なかなか良くできていた。

複数の過去へのフラッシュバックがあちこちに挿入されている複雑なプロットの構成にもかかわらず、
物語が混乱していない手際はさすがであると思った。例えば二つの刑務所が近い過去と2年前に
遡って回想されるのであるが、囚人服を片方は黄色、片方は青で統一しているため分かりやすい。
一つの場面が終わって次に移るのでなく、複数の回想が代わる代わる立ち現れてくる様が大変美しい。

この映画は「スタイリッシュ」と形容される向きもあるようだが、むしろコメディーに近い。
しかし単純な「かっこよさ」でも「笑い」でもなく意地の悪い嘲弄でもない。
随所に出てくる登場人物の「ずっこけ」は原作の思想でもあるのだが、「非常に有能な人間でも
思いもかけぬ愚行を冒すのが通例である」という人間観を語っているようである。

例えば主人公は200もの銀行強盗を武器も使わず口先三寸で実行して来た頭脳犯で、冒頭で
銀行員を欺いて見事に金をせしめるのだが、逃走用の車のエンジンがかからずあっけなく逮捕される。

ヒロインもまた非常に有能な連邦保安官なのだが、偶然居合わせた脱獄の現場でショットガンを構えて
いたにもかかわらず、素手の二人組に無様に拉致されてしまう。

つまり失策が物語の始まりとなっている。

また劇中に出てくる凶悪犯たちも自ら招いたエラーで自滅する。つまり人間の本質は無能であり、
その無能さがチャーミングであると暗に示しているように思われる。

ラストの場面、強盗に入った彼は逃走する機を逸して銃を持って彼女と対面する。
彼等は愛し合っており、女を撃つ気がなく刑務所に戻りたくもない彼は、彼女に
射殺される事を望んでいる。

それを知っているヒロインは、しかし射殺できず足を撃って彼を逮捕する。
その刹那の二人の会話が面白い。銃を構えあって互いに牽制するのだが、女の方は

「負けたわ」    ( You win,Jack. ) と言って男の足を撃つ。そして 倒れた彼に駆け寄り
「撃てなかった。」 ( I can't shoot you. ) とつぶやく。撃たれた男は
「ちゃんと撃てた。」( You did. You shot me. )と答える。女は
「言わないで。」  ( You know what I mean. )と答える。

なぜ女は撃つ刹那に「負けたわ」(あんたの勝ちよ、ジャック)と言ったのか。
単純に言えば「撃ちたくなかった」、ということであるが

向き合った時、男は「撃たれてやりたい」という気持ちであった。女はできれば彼を逃がしたい。
つまりここでは「撃たれた方が勝ち」という愛の駆け引きとなっているのである。

結果、職務を遂行する意志がある彼女の方は彼を撃たざるを得ない。
だから愛の駆け引きとしては、「負けた」と言ったのであろう。

そして女は彼からの反撃がない事を察知して、致命傷にならないように,
「照準を外して」(タイトルの通り ”out of sight”して ) 彼の足を撃つ。

見事に撃ったにもかかわらずなぜ、「撃てなかった」とつぶやいたか。

彼女は「彼が彼女に射殺される事を望んでいる」と察していたのだが、それができなかった。
致命傷を与える事を避けたため「あなたに屈辱を与えたのではないか」と言っているのである。

彼はYou did. You shot me.と答える。これはどういう意味か。事実を言っただけだろうか。
敵対関係ならこれは「よくも撃ちやがったな。」という事になるが、もちろんそうではない。

日本語字幕で「ちゃんと撃てた。」とあるように「君は職務をちゃんと遂行した。」と言っている。
(しかし深読みすると、「君は俺のハートを射抜いた。」ともとれる。)

彼女はそれに対して、You know what I mean.と答えている。
直訳すれば「あなたは私の言った意味を分かっている」という事だ。

つまり銃の引き金を引いておいて「撃てなかった」というのは、
「あなたの望むような『誇りある死』を与えられなかった」と言っている。
そう言う意味である事を、あなたは知っているでしょう、という訳だ。

そして「撃てなかった」のは愛していたからであるから、 I can't shoot you.
というのは「愛している」と言ったのと同じ意味な訳である。

彼がそれを理解してYou shot me. と言ったとすれば、
「撃ったじゃないか。君は自分の仕事をよくやった。」というよりも、
「君は俺のハートを射抜いた、だから俺はこういう行動をとった。俺は死ねなかったが満足だ。」
とでもなるだろうか。

ラスト数秒の短いやり取りでもこれだけの味わいがあるのである。

SIG 230p(またはシグ380)という銃に関しては、また日を改めて書きたい。











「ヒロシマ」という場所の結晶化 [メディアから]

E7ACB9E5B2A1E59593E5AD901.jpg笹岡啓子作品


彦坂尚嘉氏のブログで
写真家・笹岡啓子氏の個展が開催されていることを知った。
http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/2008-05-25

場所は月島のタマダ・プロジェクト(大きなギャラリーです)

http://www.tamada-pj.co.jp/project/gallery.html

この作家は30歳、広島出身で
彦坂氏によると

「その写真には、広島を見つめて来た眼が、
そのまま広島の外の世界を見ているという、
特権的な眼差しがあります。」
とのことで、素晴らしく良い展覧会らしい。

「ヒロシマ」からのまなざしが表現としての強度を創り出し 、
きわめて優れた、硬質の写真となったのであろう。

先日DVDで観た「夕凪の街 桜の国」も(原作は優れたコミック
60年を経た「ヒロシマ」が結晶化して生まれた美しい表現だと思う。
(映画がやや冗長なのは残念だが)
http://www.yunagi-sakura.jp/news.html

この美しさはしかし、爆心地付近の公園にある
公共彫刻のような、傷を覆い隠すごときデザインとは違う。
もっと内側から、傷口そのものが輝くような不思議な崇高性である。

そして和田賢一氏の絵画もそうした系譜であると思った。

http://www.kawag.net/page069.html

2月、氏自身も被爆者の列に加わってしまった事はあまりにも衝撃だった。
「ヒロシマ」は現在も継続中であり、「過去の出来事」ではない。

「彦坂尚嘉のエクリチュール」 [メディアから]

彦坂本.jpg

現代美術家の彦坂尚嘉氏が本を出された。
「彦坂尚嘉のエクリチュール」というタイトルで、
近年の氏の著述活動がまとめられ時間を経ても
意味の劣化しない思考が定着されている。
氏のエネルギーはどこから湧いてくるのか
凄いものがある。。





イスラエル出身の女流 [美術探訪]

ブラチャ・エッティンガー.jpg

アグネスマーティンについて調べていたら
ブラチャ・エッティンガーというイスラエル出身の画家を見出した。
日本では紹介されていないようだが

ラカン派の精神分析医、そして画家という人で、
女性芸術家の精神分析についてもレクチャーを行ったりして、
欧米ではかなり知られているようである。
彼女はアグネス・マーティンにも言及していた。

また、イスラエル人でありながらイスラエルのパレスチナ占領に反対し
パレスチナ人支援の活動を続けているらしい。

彼女の絵は大変怖いもので、叙情的な要素は皆無である。

Eurydice???29.jpg

http://brachaettingermatrixialborderspace.blogspot.com/

http://en.wikipedia.org/wiki/Bracha_L._Ettinger

http://www.flickr.com/photos/bracha-ettinger/sets/1022585/


女流作家の成長プロセス [美術探訪]

martin-exhibs_b-top.jpg  アグネス・マーチン               

                                        
20世紀前半という時代に、モダニズム美術という先進的な領域でも、
女性が独立した作品世界を創造するのは一種の開拓であったかもしれません。
名を馳せた女性は少なくないですが、画家としてはこの4人を擧げます。

ヘレン・フランケンサーラー、
ジョアン・ミッチェル
ブリジット・ライリー、
アグネス・マーチン


サーラー.jpg ヘレン・フランケンサーラー

サーラー.jpg ヘレン・フランケンサーラー

  ミッチェル.jpg  ジョアン・ミッチェル


ライリー.jpg 
女性の美術家である事は今日では普通の事になっているので、
ことさらに女流などと構えるのは時代錯誤には違いないですね。

しかし美術史上、女性が作家として自立して来たのは最近であり
19世紀までの女性作家は男性「巨匠」との師弟関係などで
語られる事が通例です。

                                                                                                                                                                                                      

                                          


                                                                                              ブリジット・ライリー 

martin-homage-top.jpg アグネス・マーチン



作品を見て「女性だね」と分かるかどうかは別として
この4人は私にとって「女性というイデア」の4つの側面を
表徴してくれるような気がします。

それぞれの芸術家のキャラクターを
個人の女性の成長プロセスとして整理してみました。

 十代〜二十代 ヘレン・フランケンサーラー …着実な学習による過去の継承、実験、軽やかな飛躍
三十代〜四十代 ジョアン・ミッチェル    …自然との親和、葛藤、持続、体質の充実
五十代〜六十代 ブリジット・ライリー    …知性の充実、感性との協和、天上的開放感
七十代〜八十代 アグネス・マーチン     …天使的知性、自然との一体性、静寂、叡智

年をとれば取るほど創造性が高まると言うイメージですね。
表面的には若い時期がもてはやされるのですが、マーチンは晩年が特に良い気がします。
現在は皆さんご高齢か、すでに亡くなられています。

Helen Frankenthaler (1928 - )        80歳現役
Bridget Riley (1931 - )            77歳現役
Joan Mitchell (1926 - 1992)         66歳で逝去
Agnes Bernice Martin (1912 - 2004)    92歳で逝去

こうして見ると、マーチンは特に息が長く、ディア・ビーコンで
回顧展を続けているのも頷けます。

http://www.diabeacon.org/exhibs_b/martin-homage/
http://www.diabeacon.org/exhibs_b/martin-trajectories/




寂しさという到達点 [メディアから]


宮沢りえ.jpg

彦坂氏のブログで「宮沢りえ」が批評されているのを拝見した。
氏の評言は、「女優」と言う存在に投げかけられたもっとも感動的な賛辞ではないだろうか。

宮沢りえの表徴する「寂しさ」は彼女の個人的な問題を越えて、
現代の日本のある到達した地点に伴う「寂しさ」となっているように思う。

21世紀になってすでに21万人を超える自殺者を出している日本にあって、
何らかの形で「寂しさ」を表徴しない表現は虚偽であるとさえいえるかもしれない。

世界的には「寂しさ」どころではない訳なので、普遍的な価値があるかどうか分からないが
ともかく現在の日本の表現者が表出しうるリアリティとして、「寂しさ」を強く支持したいと思う。

http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/2008-05-19



ニューミュージアム [美術探訪]

nm.jpg

昨年開館したニューヨーク新現代美術館の情報があまり入ってこない。
もっと話題になって良いはずだが。
それにしても美しい建物だ。一流と言えるだろう。

http://www.newmuseum.org/

《解説》
日本の妹島和世氏と西沢立衛氏の設計による。
 美術館の名称は、「the New Museum of Contemporary Art」
設計者は、日欧米から5組を招いた指名コンペで選んだ。

2003年の設計時点で妹島氏は47歳、西沢氏は37歳で、
共同設計の代表作に1998年に日本建築学会賞を受賞した国際情報芸術アカデミーマルチメディア工房などがある。
また、金沢市の21世紀美術館、東京銀座のクリスチャン・ディオールのショップの設計なども手がけている。

(★身近な所では茨城県古河市の総合公園にある飲食施設。)
http://members.aol.com/kikis522/kenchikumap/kogainshoku/kogainshoku01.htm 

バワリーのNew Museum の建物は重力に反した姿で、ニューヨーク
の都市構造の中で地理的にも文化的にも非常に重要な交差点に位置する。そこは
ニューヨーク市の中でも独特のコミュニティーが交わり、芸術家達が何世代にも
渡って住み、働き、アメリカでずっと続いている文化的対話に貢献してきたこと
で名高い場所だ。

銀色の陽極処理されたアルミのメッシュに覆われ、強調された
窓や天窓からはニューヨーク市が眺められる。建物の形は常に変化するアートの
ダイナミックさと、そこに込められたアイディアを表しているようだ。

メインギャラリーとなる1 階から3階は全面柱のないダイナミックなフロアになる。
美術館の中には180 席のシアター教室、教育センターがあり、屋上にはニュー
ヨーク市の全景が見えるルーフトップテラス付きのイベントスペースも備える。

New Museum の後期設立者にちなんで名づけられたマルシア・タッカー・ホー
ルは広く、明るい1階はミュージアムショップや洒落たカフェ、上部のセットバ
ックから陽の光が差し込むガラス張りのロビーギャラリーがある。


壁面にあるネオンのロゴもローアートで、建築全体を
象徴しているのかもしれませんが、ちょっと調べてみた。

ニューミュージアムの記事
http://www.newmuseum.org/exhibitions/18によると、

「上級学芸員ローラ・ハプトマンの発案で
スイスの美術家ユーゴ・ロンディナンによる
2001年の作品「HELL,YES」を掲げた」とある。

そしてこの言葉はオルタナティブ・ミュージシャン、
「ベック」のアルバム「グエロ(白人を表すスペイン語のスラング)」
の中にある同タイトルの曲からとった言葉らしい。

慣用句辞典
http://www.geocities.jp/ryugaku_123/eng/USENG.htm#H によると、

スラングで意味は、「やったー!、よっしゃー!」感嘆を表す表現。
曲自体はミニマルっぽい淡々としたもので、日本のロボットが踊るビデオ・クリップがある。

ベックのビデオ・クリップ「hell yes」
http://www.youtube.com/watch?v=WPqkAYGlynI



絵画とゲーム [美術探訪]

電車内でゲームをしている人を良く見かけるようになった。小型化・高度化しているのだろう。

ところで絵画制作をゲームに例える事は抽象絵画が現れてからよく言われるようになった。
異論はあると思うが、モーリス・ドニの有名な言葉

「絵画が、軍馬や裸婦や何らかの逸話である以前に、
本質的にある秩序で集められた色彩で覆われた平坦な表面であることを、
思い起こすべきである」(『新伝統主義の定義』(1890年)より)

この言葉を想起すると、色彩(形式)を如何に秩序づけるか、
という一種のゲームであると言いたくなるのも事実である。

絵画(素描)は安価で複雑・高度な最高・最古のゲームであるのかもしれない。
だから、私はゲームする時間があれば絵を描く。

完成したらクリアしたという事になるか。失敗したらgame overだ。
しかし絵画が難しいのは完成が成功とは限らないという事だ。

レベルの低い完成は失敗と同じだから、完成しないほうがよいともいえる。
しないためには常にソフト(制作を維持する知覚及び思考方法)を更新しなくてはならない。

あるいは制作そのものが知覚にフィードバックしてそれを更新する事になる。
ゲームに例えると、プレイすることがソフトを更新、アップデートさせるのだ。

しかしそれも限界があるらしい。



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