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女性達とジャコメッティ(5) [美術史]

ジャコメッティはよくモデルを前にして
「顔と後頭部を同時に見ることができればいいのだが!」とこぼしていた。

もしかしたら彼は、モデルの頭の後ろに回り込む柔らかいアンテナの先端にくっついているような、
第三の目が欲しかったのかもしれない。

あるいはおそらく、モデルの頭部に潜り込んで、その内部の奥まった所を見る事さえ望んでいた。

彼の視覚上の探求心は、単に表層的な類似を達成する事によって満足するものではなかったのだ。
だからこそ、未知の見えないものに接近するのも可能になったのだろう。
彼は、その芸術によって生と死の認識の更新を成し遂げようとしていたのだろうか?
 
 ジャコメッティは好んでよく過去の偉大な巨匠たちの作品を模写した。
そして、同様に、現実の対象から制作する時も完全な類似を成し遂げようとした。
 しかし、厳密な類似を追求する肖像か胸像のために男性あるいは女性のモデルを前にした時、
アルベルトは決して満足しなかった。

 まるで何かが常に彼から逃げ去るかのようだった。
彼は、いかなる言葉によっても表現できないものを表現し、
形を与える事ができないものを視えるようにしようと試みていたのだろうか?
 そう、彼の手の熱狂的な動きが、私にそれを暗示していたように思われる。
 
 彼の「頭部の再現の不可能性」の問題に私もお互いの立場を超えて、深く心を打たれた。
それで二度目の訪問の時に、私は彼にこう尋ねたのだ。
「その仕事を私と試してごらんになりませんか?
 私は、あなたのためにポーズをとることができないでしょうか?」

 私は正直期待してはいなかったのだが、一週間たって、私の三回目のアトリエ訪問の時に 彼の方から
「君は、本当に私のためにポーズをとってくれるのかね?」と言ってきた。
 
 「ジャコメッティのモデルになりたい」などという申し出は、彼の拒否の可能性を恐れてこれまでにおそらく誰も口にしなかっただろうが、この場合実は無意味だった。

 実際、それは彼にとって受理か拒否かの類の問題では、もはやなかった。というのは、偶然だがより重要な決定因が関わったから。つまりアネットが風邪をひいて、そして彼は単に毎日の仕事を中断したくなかったのだ。

 私は持ち場を得て、後援者の役割から解放されたように感じた。いまや私は彼とのより直接的な関係を持つことができた。私は、他のどのモデルでも交換可能な、まさに「モデル」になったのだ。最初の短いセッションの間に、私は自分が彼の手によって繰り返して形作られている「物」になったような感じがした。

 デッサンにある抹消の痕跡のように、彼が粘土に人相学的な形を与えては削り取るので、その度に私が粘土のいまや私は彼とのより直接的な関係を持つことができた。私は、他のどのモデルでも交換可能な、まさに「モデル」になったのだ。
 
 最初の短いセッションの間に、私は自分が彼の手によって繰り返し形作られる「物」になったような感じがした。デッサンにもよく消された跡があるが、同様に彼が粘土にリアルな顔を与えてはあっというまに削り取るので、その度に私自身が粘土の中に現れては消え去るような気がしたのだ。
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